体型崩れが酷くて死にたくなる
明日は有給を取ったので、今日は4連休の二日目。うちには車がないけど、愛猫の歯の治療のために遠方に出かけるため、1週間レンターカーをした。私は車の免許がないので、パートナーが1年半ぶりにハンドルを握っての夜のドライブ。普段とは違う景色に心躍る。
40歳を過ぎたあたりから体型が著しく崩れている。
若い頃は何もしないでも、たとえ食べ過ぎても、翌日には体型が戻っていた。
今は何もしなければその分脂肪は蓄積され、運動すればその分筋肉がつく等、自分の日々の食生活や運動量がそのまま体型に現れる。
「そんなに体型が気になるのであれば、毎日ジムに通えばいいではないか?」とはその通りなのですが、まず、田舎に越してから、最寄りのジムが徒歩25分である。そして、結婚して、家族を養っているため、毎月1万円以上をジムにかけるのは、家計的にどうしようと踏みとどまってしまう
でもこれらはもちろんいいわけです。
本当に通いたかった自転車で10分で行けるし、ジム代が出せないほど稼ぎが低いわけではない。
そもそも美しくありたいのは誰のため?
今でもモテたいのか?
今年の10月に結婚して、パートナーとはとても仲が良いし、自分とこれほど話が合う人はこの世でパートナーぐらいしかいないと思う。
パートナーは12歳年下だけど、彼は他者に対する性的欲求はゼロではなくてもそこまで優先順位が高くないのでバイセクシャルというよりエイセクシャルの方が近いかもしれず(というか、セクシャリティーの括りとういものはそもそも当てにならない)、それもあり、見た目や年齢より話が合うか否かが彼のパートナー選びの基準なので「俺も30代になって気づいたけど、やっぱり年下って肌のハリが違うし、かわいいよな(·:゚д゚:·)ハァハァ」と一般的には珍しくない性的な衝動だけで若い女または男に突然走るタイプではない(だからといって、若い20代の女性とSNSで仲良くしていると気にならないわけではないが、これはさておき)。なのに、なぜに、こんなにも自分の体型の崩れを悲しむのだろうか。
私の体型は太っているとか、そういうのではなく、まだ細身の方ではある。でも太い細いの問題ではなく、凹凸があいまいになり、あきらかにハリが前よりないし、全体的に重力に負けてきている。どんなにお腹を引っ込めて、お腹の周りの脂肪がたぷっとついていて、セルライトなのか、とにかくたるみの影響で表面が滑らかではなくちょっとボコボコしている。先日UNIQLOの試着室でワンサイズ上がってしまったパンツを試着してたら、鏡に写ったセルライトが浮き出た自分の象のような太ももの裏には絶句した。若い頃はは小さない風船がプリンと乗っかっていたようなお尻が、今ではなんとかカーブを維持している使い古したビーズクッションのような柔らかいけど弾力のないお尻。そしてきゅっとお尻に太ももに力を入れると、益々セルライトが目立つ。ちょっと見ない間に自分の体型崩れがさらに進んでいた。
加齢とともに体型が崩れることは人間誰しもがたどる道。家ではバランスボールとストレッチポールで少し運動はしているが、より本格的にトレーニングをしないと老いにどんどん蝕まれてしまう。もっとお金があって、都会に住む余裕があって、エステに最低月1回は通って、ヨガを熱心にやっていれば、今でも維持ができたのかなと、そんな妄想にふける。田舎に越してきたから、都会で独身生活をしていたときのようなお金の掛け方ができていない。
独身の時はモテ願望があったけど、
今は、平和な既婚者でしょ。
都会は劣等感を刺激されるから、
田舎に避難してるんでしょ。
「タラレバや、文句を言うならもっと家でトレーニングしな。家族もいて、仕事もある。今ある目の前にある幸せに感謝できないからいちいち凹むんだろう、この平和ボケしたカスが。そんな感謝知らずのやつは、そのうち全部失うよ。」
そんな脳内の罵りを聞きながら死にたくなりながら、太もも裏を鍛える筋トレの回数を少しずつ増やしています。
人生100年時代といいますが、自分の老化と、コロナ騒動もその一環である、グローバリズムという名の価値観の一元化という抗えない流れの中で、石田ゆり子に憧れていない私は、中年以降、素敵な人生を送るにはどうすればいいのでしょうか。