自分へのダメ出しが止まらない
いつも隣の芝生を見ながら歩くものだから、足元にある石に気づかず、つまずき転んでしまう。隣の芝生は青く輝いている。お隣さんの家の芝生に憧れたところで何も変わらないことは頭ではわかっているのに、それでも劣等感を抱けるような位置からでしか物事を見られない自分、そして足元にある石に気づかないどんくさい自分にほとほと嫌気が差す。
しかも隣の家とは高く聳え立つ薄く青みがかかったガラス壁で隔たれているので、隣の家の芝生が実際のところどれくらい青いのかは、この目でちゃんと確かめたことがない。にもかかわらず、「きっと水晶玉のような朝露が降りた、水々しい芝生が青々と生えているに違いない」と妄想を膨らませ、クロード・モネの絵画で描かれているような美しい色合いの芝生を思い浮かべては「羨ましい!!!」と指を咥える。
「それに比べて我が家の芝生は一部枯れてるし、なんて覇気がなく、貧相なんだ。」
私がもっと肥料を与えるなどお手入れをすればいいのに、毎日残業をして週末も働いていることを言い訳に、全くなにもしていない。自分はなんて怠け者なんだ。いや、そもそも自分の仕事の効率が悪いから残業や週末も働かなきゃいけないわけで、つまりいい歳して、私はいまだに仕事ができない上に、怠惰なんだ。ああ、もう自分には全くいいところがない、死にたい。
いや、もうね、隣の芝生どころか、隣のピカピカに磨かれたおそらく新車の外車も、外から見える北欧風のおそらく高級なカーテンも、家の中から漂うおそらく美味しい夕ご飯の匂いも、もう何もかもが我が家より輝き、優っている。
そんな客観的に自分を見ているような見ていないような、とにかくいつも隣の芝生を眺めては自己嫌悪に陥る悶々とした日々を30年近く続けているうちに、首がすっかり横向きに固定してしまい、まっすぐ目の前を見て歩くことが難しくなってしまった。
お酒をやめられたように、自分イジメもやめたいんです。
写真はこの秋、多臓器不全で天国へ飛び立ったうちの愛猫の写真。
まだ推定5歳ぐらい。
シトシトと降る窓の外の雨を静かに眺める凛とした背中は、
あと数日後に訪れるこの景色とのお別れを悟っているようでした。
このとき、この子の目には何が写っていたんだろう。
会いたいな。