私にはママがいない
私にはママがいない
私にパパもいない
私には姉もいない
今も昔もこれからも変わらない
私が変われば家族は変わる
私の家族に対する歪んだ視点を正せば
私が姉かそれ以上に世間的な地位を得れば
みんな私を愛してくれる
姉は私を蔑まず、私を対等に扱ってくれる
みんなと仲良くなれるという
幼い幻想を捨てきれずにいた
「私が彼らの望むような姿になれば」という条件を満たさない限り、
つまり、私が私らしく生きることは私の望む家族からの「愛情」につながらない。
私の体力や精神力には限界があり、支配欲のない私は企業の梯子を登れないし、登ることにそもそも興味がない。でも登らないことは姉に勝てない、そして母親をがっかりさせることに繋がる。だ「きっつぅーなはなんでもeasy way out することを考えている(楽することをばかり考える)」とある日父親に言われた。父からの言葉に「私は怠け者なんだ」という信念ことが脳内に、心の中に、深く刻み込まれる。努力して、我慢して、企業で長く勤めたり、うまく給料の交渉できない自分を自分を忌み嫌い、号泣しながら「このくそめ!!」と自分を責めて、壁に頭をガンガンと叩きつけ、自分で自分の顔を平手打ちする。
現職は膨大な知識の要求、長時間労働と歪んだ人間関係が絡まっている。でもその分残業代が入ってきている。働けば私は怠けもものではない、稼げば、母親に喜んでもらえる。でもどんなに働けど、私は姉の収入に追いつくことはない。長時間働いて、自分を苦しめることを強いているような感覚。
トラウマ、乖離、PTSDが複雑に絡んでいる。
過去の出来事の
一つ一つのことは覚えていないけど
身体に刻み込まれている
自分らしさを主張する度に、
笑われたり、嫌な顔をされたのだろう。
それが、私が自分の感情を、
自分の考えを示す度にダメ出しや恥ずかしくなることの根本的な原因。
誰かがスケープゴートになることで
機能不全の家族はなんとかかたちを保てる。
私は運の悪いことに
そのスケープゴートになってしまった。
自分がスケープゴートであることに気づく一方で
こらは全部私の思い込み
これは全部私の被害妄想だと
そう自分を追い込むことで
結局自分の立ち位置からは抜け出せない。
でも、これは思い込みではない
被害妄想ではない
父が昨年亡くなった。
遺産は借金のみ。
結局私と姉は遺産放棄をすることを決断。
父の唯一の財産である持家は、
不倫の果てに父親を略奪した後妻の財産に。
訃報は叔母経由で父の1カ月に伝えられ、
葬儀についても知らせれず、
遺産相続の調査には非協力的、
父の遺品すら最後に見せることも徹底的に拒む後妻。
父方の祖母がまめなひとで
私の幼い頃の手紙やアルバムや文集のコピーを取っているのは知っていたので、それだけでも取りに行けたらと母親に伝えたら、
どうやら父親はそれらを以前母親に送ったけど、
母親は自分が今のマンションに引っ越す際に
私に一言も言わずに捨てていたらしい。
自分のマンションの手続き、引っ越しの手続き、
その他自分に関わることについては連絡してきたのに。
そして、自分の子供のアルバムを平気で捨てられるんだという悲しみ。
私は母のアルコール依存症の弟に、母方の祖母の家置いておいた、大事に突堤置いた過去に書いた絵や、文集や、賞や、集めていた切手のコレクションも無許可に捨てたらた。10代の頃に書いた日記は、どの部分か知らないけど、その一部を母親に読み上げ「おまえはこれだけ桃子に苦労をかけているんだ」と訴えたらしい。
その母は父が亡くなったおかげで
結婚していた間の分の米国年金の収入が増えて嬉しそうだ。
姉に双子の子供ができた
母は孫が可愛くて仕方ないらしい
私は連絡の取れない気難しいダメな人として、
陰の存在で居続けるだろう
甥っ子と姪っ子を可愛がりたかった。
彼らが赤ちゃんの頃一度だけ会ったことがあるけど血の繋がり、本能なのかな、姉の子でも、本当に可愛かった。幸せになって欲しいと思う。
そしてパートナーに親の愛情を求める一方で、パートナーは親ではない。私の求めている親の愛情はパートナーでもなく、誰にもこの隙間を埋めることはできない。
YくんはYくんで色々と抱えているけど、私の精神が不安定過ぎて何も言えない、と。それを聞いた時、だったら離婚すればいいじゃん、もっと相談できる人と一緒にいればいいじゃんと思った。私は所詮自分中心のダメ人間なんだから、と。Yくんはいつも私の病的な発言を忍耐強く聞いてくれている。一方で私はYくんの苦悩を聞いてあげる精神的な強さがないにしても、彼の身体は今までの苦労が故に凝り固まってしまい、心身共に不本意な制限がかかってしまっているのが分かっている。だから主夫だったり自由業として生きればいいと思って、私が稼ぐことで私なりに彼や猫たちの健康をサポートできればとそれなりに頑張ってきたので、「俺の依存症に対する対応が冷たい」だったから無関心だったか、言葉は忘れたけど、それを言われたのは傷付いた。
夜中にお互いに思いをぶつけて、お互い様だね、というのが着地点になった。
でもこの「お互い様」という配慮はうちの家族ではなかったので、誰かが「悪い」ということにならないと、ことが収まらなかったので、Yくんは慣れてるみたいだけど、こんなにも言い合って関係が破綻しないのが新鮮であり、驚きなんだ。
お酒を飲んでるときだけ、全てがどうでもよくなる浮遊感が楽しめた。
でもお酒はやめられた。
家族愛に対する幻想、憧れ、依存をやめたい。
でもやめると決めると恥ずかしくなる。
変わるのが恥ずかしい。
恥ずかしい感覚をどうしたら消せるのか。
そして変わると、損する、と思っている。
自立するとは物事を達観すること。家族やパートナーに怒らなくなり、結局舐められ、私が損をすると思い込んでいる。昔の彼氏にはほとんど怒らなくて、浮気されたり、逆ギレされた経験があったなら。
自立することは怒れるようになることなのに。
でも怒っても何一ついいことなかったから。
姉には論破されるか虐待される。父には逆ギレされる。唯一のよりどころだった母親にはだんまりされる。誰も自分の非を認めない。謝らない。だから私は怒らない。私が謝る。それを求められていた訳ではないのかもしれないけど、私はそれで不穏な空気を変えて事態を収めたかった。
両親の離婚後も自由に生活できた姉。彼女からしたら「ももちゃんは、ママがいてよかったじゃん、私には頼れる家族がいなかった」と言っていたけど、彼女には私の苦労は一生伝わらない。
私はアダルトチルドレン。