成功はママのため
40歳を超えて、ライブをやるのが益々怖くなった。
もともと売れているわけでもないし、ライブの度に「誰もお前の歌なんて聴きたくない」という声がして、屈辱感に苛まれてはあったけど、それでもまだ自信なのかな、「いつか成功する」という希望とうか夢があり、集客も大体他のシンガーよりは多かった。
でもその勢いも2019年で終わり。
そこからコロナ騒動によりイベントを開催することに関して、以前にも増して緊張感が高まってきた。
まず、気軽に声がかけられない。
ライブをやるにも「コロナ対策」というのに気遣わないといけない。
観客がみんなマスクしているのがきっと耐えられない。
観客の中に「コロナに感染するかも」と怯えている人がいるかもしれない。
つまり、コロナ脳のお客さんとどう向き合えばいいのかわからない。
ミュージシャンだってコロナ脳が多い。
リハーサル中もきっとみんなマスク。
耐えられない。
そして田舎に越してから人とあまり接していないので、飲み会にも参加してないし、声がかけられない。ライブハウスのノルマを達成する自信がない。
加えて、40歳になって、売れていもいないのに音楽を続けていることに「まだやってるんだ〜」と辱められるのが怖いのもあり、声をかけられない。これは30代からそうだけど、年々この思いが強くなる。
ではもうやらなければいいじゃないか。
でも私は楽器の音が鳴り響く中にいるのが好きなんだ...好きだった。
でも年齢というより、時代が変わってしまったから、もう過去の思い出として一区切りつけていいのかもしれない。
20代〜30代で音楽活動にはたくさんの時間とお金を費やしてきた。
投資に対して回収がほとんどできていないと思っているから手放せないでいるのかな。
売れることに対してものすごい執念を燃やし、1曲ぐらいヒット曲を出してみたかった。
こう悶々としている間に刻一刻と若さを失い、年齢が上がる度に音楽市場からの需要は減り、時代が進めば進むほど、自分と世間の感性との間に距離ができる。
これは音楽に限らず、日に日に、人間に対する興味は薄れ、孤立感が増している。
動物と話せる人が羨ましい。
座りながらノートPCを叩いているけど、すっかり筋肉が落ちた、ハリのないポチャポチャなお腹が気になる。太もものセルライトも相変わらずだろう。怖くて鏡で自分の姿がみられない。試着室でも服の下は見ないようにしている。現実を直視できない。
そのくせ、なんで運動を積極的にやらないんだろう。
言い訳ばかり。
死ねばいいのに。
そう思っても死ねません。
助けて。
自分でしか自分を助けられないよ。
人なんてみんないつか死ぬのに、何をこんなに悩んでいるのだろう。
損得勘定で生きているつもりの割には損得をうまく計算できない。
最近、心が枯れている。
前から枯れているのかな。
でも少し前の自分の方が人に優しかった気がする。
元々のトラウマに加えて、Iカウンセリングに就職したことと、コロナ騒動によって、母親の支配はそのままに、その他のスピリチュアル的な要素、つまり自分の軸だったものがなくなり、この2年ほど抜け殻状態になっている気がする。
かといって前の自分に戻りたいとも思わない。
でも前の自分の方が人に優しかった気がする。
猫は何年生きるかわからないのに、
どうしてこんなにお金をかけながら暮らすのだろう。
わからない。
ただ、かわいいから、なるべく楽に過ごして欲しい。
太っててもいい。
ずっと好きに寝てればいい。
ただ部屋にいるだけでいい。
どうして自分に対してこうは思えないのだろう。
親から点数とお金でしか評価されなかったから。
社会(=男性)から求めらるには若さ(つやつやの肌といい体)が必要だから。
アートが神聖であるという幻想。
アートこそ権力や政治と結びついている。
だからアートも男性優位。
色々とわかってるのに、自分のことになると、社会の構造ではなく、自分の能力や運のなさを恨む。
私の本質的には「成功」なんて興味がないけど、ママに認めてもらいたいんだ。
それで仮に社会的に「成功」して、認めてもらっても、「ああ、結果を出さないと娘として認めないんだ」という虚しさか残らないんだけどね。しかも勝ち続けないと、次は「過去の栄光にすがっている虚しい人」と自分をラベリングして陥れる。
何をしても、私という境遇に生まれたので、何かも手に入れることは無理なのである。
どうがんばってもビルゲーツの資産を超えることはできない。
それで仮に今日母親が死んだとしたら、私はそれでも成功したいと思うか。
どうでもよくなりそう。
だって、母親がいなくなったら、私の成功なんて誰も関心ない。
私の貯金額も、稼ぎも、東吾も、誰も関心ない。