スーパーカーで獣道を走る

金融系IT会社のアラフォー会社員。ギャンブル依存回復中の12歳年下バイセクシャル主夫と2匹の猫と暮らす。かくいう私も元アル中、しかし謎の体質変化により現在はほぼ下戸。City Girlでしたが、昨年自然を求めて田舎に引越し、果たしてそれが正解だったのか考え中。自分の歪んだ認知を矯正して飄々と生きることを目標とするADHD・妄想性障害・気分変調性障害のメンヘラ奮闘記。低血糖で副腎疲労の疑いもあり。

成功するかどうかは100%が運

パートナーのYくんはいつも全ては運だから努力が足りないとか自分を責める必要はないと、自己嫌悪のあまりに今にでも壁に頭をガンガン叩きつけそうな私を慰めてくれるのだが、私はいまいちそれを受け入れられずにいた。でもそれが先日なんだか腑に落ちて、今それをさらに自分の中に落とし込んでいる。そして努力しても成功できない現実を前にやや呆然としている。

 

松下幸之助も似たようなことを発言している。

 

『だから、運命が、運が90パーセントだから、努力せんでいいということにはならんね。そして努力したから、必ず成功すると考えてもあかんよ。けど、成功するには必ず努力が必要なんや。そういうようなことを、きみ、理解しておれば、自分に与えられた人生を謙虚に受け入れ、かつ力強く歩いて行くことができるよ。人生に傲慢になったらあかん。』

 

toyokeizai.net

 

ただ「成功するには必ず努力が必要」という部分には賛同できない。「努力」ってなんとなく我慢や苦労が伴うイメージだけど、成功者と呼ばれる人たちは、目標に向けて知恵を絞り、体力もそれなりに費やすこともあるものの(ここがおそらく努力と言われる部分)、そもそもその行為自体が向いていて、そして与えられた色々な条件が噛み合い、社会的に成功として捉えられる結果を残したのだと私は考える。つまりやっぱり100%「運」なのでは... 

 

例えば演技の経験が皆無のキムタクの娘が映画初出演で主演が決まった。これこそ彼女の運が働いた結果なのでは... 例え映画がヒットしなくても、私は彼女のルックスと人生を十分羨ましく思う。

 

なので、やはり社会的な結果によって人の優劣をつけるのは全く意味がないのだけど、でも勝負は人間の原動力だからこれを批判したり嘆いたりすることは同じくらい意味がない。

 

自分に与えられた人生を受け入れることの重要性は本当にそのとおりだと思う。

私は受け入れられていないから、認知の歪みが生じている。

 

私の運。。