ほとんどの人が怖い
思考を分析することが妄想癖(自動思考)から脱却するには効果的なのは分かっているのだけど、とりあえず今の感情を吐露すると、、
とにかく人が怖い。
「この人との繋がりはいつか役に立つかもしれない」と、利害関係の目的のみに自分も相手と繋がり、相手も自分と繋がるのは私はどうも苦手だ。それで過去に何度もリセットしたり、年賀状も途絶えさせてしまった。
才能があることに越したことはないけど、ビジネスチャンスを掴むのは結局は人との繋がりだと以前あまり売れていない映画監督の方に言われた。どの業界でも、目立つことが目的であった方が出世できるのだ。そのためにはプライドだって捨てられる。謙虚の美徳は相手に脅威だと思われないように下手に出るという強かな処世術。これを真に受けて謙虚に生きていたらただ利用されるだけ、マウントを取られるだけ、自己嫌悪ひいてはうつ病に繋がるだけ。謙虚や感謝とはおそらくどこかの宗教が信者を都合良く操るためにつくりあげた概念。謙虚さと感謝を説く行為こそ傲慢であるという矛盾。人や自然への敬意は自然に湧いた時に感じればいい。ただその素振りを見せた方が社会的に過ごしやすい、コミュニケーションがうまくいく場合があるという事実があるだけで、それを真実かのように語る人たちが怖い。
知らぬが仏で、色々と見えていなかった若い頃は夢に溢れていた。
でも人間関係のからくりがより鮮明に見えてきて、私はただただ人間が怖いと思うようになってきてしまっている。
この人は裏では何を考えているのだろうか。
私は客引きになりそうな若さも、コネもないから、この人たちから必要とされていないだろう。
SNSは欲とそれに伴う嫉妬が渦巻いていて怖い。空気を読めない私にとって、SNSの無言の常識は地雷でしかない。
Twitterの音楽活動アカウントは削除した。
インスタグラムはメインアカウントは削除すると他のお遊びアカウントも消えてしまうので、そのままに。でもフォローとフォロワーは大分切った。
Facebookは私が個人的に繋がりを保ちたいと思っている方々の連絡先を聞いていて、それらが終わったらアカウントは削除する。
今後、人との物理的な繋がりはミニマムでありたい。SNSで繋がっていなくても、必要になればいくらでも連絡する手段はある。
この人に対する恐怖感や被害妄想も妄想性障害からくる症状ではあるんだろう。つまり、この精神病が改善するまではあまり人とは繋がらない方がいいということだ。改善したら、人の嫉妬や欲も気にならなくなり、またSNSで適当な繋がりを復活させるかもしれない。あるいは、面倒臭いと思って、今まで以上に人と繋がらない姿勢に徹するか。
人を怖く思うのは病気ではなく正常な反応だとは思うけど、その度合いが問題なのだろう。
LINEで苦手な人と母親をブロックした。
一方的で失礼なやり方なのかもしれないけど、どんなに気を遣っているつもりでも、それはあくまで自分の基準なので、完璧に気遣いをすることなんて無理だから、自分の判断でいいはず。
人が怖い。
いや正確には何も疑うことなく社会のルールに流される人たちが怖い。
第二次世界大戦を繰り返してはならないと叫ぶコロナ脳。
つまり全員ではなくても、ほとんどの人が怖い。